INSTRUCTOR INTERVIEW

松原 昌也さん
一人でも多くの方のためにがんばっていきたい
松原 昌也さん

AVIA セレクトインストラクター
空手初段
柔道初段
1999年 スズキジャパンカップ トリオ部門3 位
2001 ~2002年 スズキジャパンカップ シングルス部門4 位
2002 ~2003年 スズキグループ選手権 優勝
2004 ~2005年 スズキジャパンカップ 男子シングルス部門5 位
2006年 スズキジャパンカップペア部門 3 位
2006年 FIG アメリカオープン出場 6 位
2007年 スズキワールドカップ 出場

冬晴れの東京。乾き切った冷気を吸い込むと脳天まで凍りつきそうな寒さの中行なわれた今回の取材。そんな寒さの中ゲストとしてお越し頂いたのは、東京、埼玉を拠点にフリーインストラクターとして活動を行っている松原昌也さんです。松原さんはエアロビクスや調整系のクラスを中心に基本に忠実な指導を行う実力派インストラクターとして、各方面で評価の高いフィットネス指導者です。
「斬新な振り付けのエクササイズはちょっと苦手という事もあるのですが、私が推奨したい運動は、ベーシックな動作や振付でも、安心して本当に体のためになるエクササイズを優先して行うクラス作りです」
 昨今のダンスエアロブームにより、“手の込んだ振付”という表面的なパフォーマンス力の強化を重視しがちなインストラクターの方々も多いと思うが、松原さんはその対極に位置する考えを持ち自らを高めようとしている。
「“楽しさ”を最優先に考えるクラス作りもニーズがある以上大切だと思いますが、運動指導者としてそれを先に考える前に、安全で機能的な体の使い方を知る必要があると思い、10年ほど前からクラシックバレエを習っています」
 多い時は週に4日はレッスンに通っていたという松原さんだが、バレエを解剖学的アプローチで捉え、体の使い方を徹底的に学んだという。私も20年前、競技エアロビクスをかじっていた時にバレエのバーレッスンを1年ほどであるが受講していた。各関節に対する重心位置のちょっとしたずれで体は引き上がらない事を身を持って知って以来、クラスで安易に「お腹を引き上げて」というフレーズのインストラクションをしなくなった事を思い出した。それまではマニュアルの如く「お腹を引き上げて!」と指導していたが、“引き上げる”と“引き締める”の意味の違いが分かってからは、“引き上げる”必要性と方法を伝える指導に変わっていった。フィットネスに対し非常に真面目な取り組みを見せる松原さんだが、この世界に入るきっかけは何だったのだろう。
「トレーナーを目指そうと思い、高校を卒業してスポーツ系の専門学校に入学したのがきっかけですね。そこで2年間学び、都内のフィットネスクラブでジムトレーナーとして活動をしていましたが、今一つやりがいを見出すことができなかったため、専門学校の同級生で大親友の石塚直樹君(現(株)HEART BEATING 代表取締役)に相談し、エアロビクスインストラクターに転向する事を決めました」
 この連載でも以前にゲストとしてお話を聞かせて頂き、現在はフィットネスクラブのコンサルティングからイベント企画、そしてラディカルフィットネスジャパンのマスタートレーナーとしても大活躍の石塚直樹君と同級生だというのだから驚きだ。石塚くんにはマンツーマンでエアロビクス指導に必要なスキルを徹底的に叩き込まれたという。
「彼も忙しいのに僕のために時間を作ってくれ、親身に色々な事を教えて頂けたことは、今でも本当に感謝しています」
しかし、大親友でもあり、ある意味師匠でもある石塚君とは方向性の違いから疎遠になった時もあったという。
「直樹は本当に明るい性格なので、賑やかにみんなでワイワイ楽しむタイプの指導が彼の売りなんです。でも、僕はどうしてもそういったスタイルには馴染めず、直樹がチャラチャラして見えたんですね。直樹の指導ではしっかりと運動の基本は教えられないと思い、自然と距離を置くようになっていきました」
 石塚君もまた松原君の事を「くそがつくほどの真面目な男」と評しているのだが、学生時代から両極端な性格であることを二人は重々理解済みであり、お互いにないものを持っていることに対しては尊敬し合えていたという。
「直樹が太陽なら僕は陰だと思っています。お互いそれを自覚しており、お互いの苦手を補えあえたら面白ことができそうな気はしていたので、『いつか一緒に仕事をしよう!』と話していました」
 古く東洋の理である陰と陽。違った役割を持つ対極のもの同士が、互いに助けあい新しいものを生み出すというこの思想は、古来のみならず現代社会にこそ絶対的に必要なものであると思う。専門学校を卒業して十数年が経ち、いよいよ今春あたりから二人で何か面白いことをやる算段がついたというから、本当に楽しみだ。さて、そんなくそ真面目(笑)な性格の松原くんだが、幼少期から学生時代はどのような家庭で育ったのだろう。
「父親はプロゴルファーの研修生を育成する仕事をしていた関係もあるのかないのか、家でも外でもとにかく厳しくて、小学生のときは学校に行く前に毎日3~5㎞ほどのランニングを課され、父の靴磨きまでさせられていました」
 厳しかったお父様は松原君が19歳の時に癌で他界してしまっているのだが、亡くなる直前まで松原君がお父様に対する会話は全て敬語だったという。
「父親は本当に怖い人だったので、楽しかった思い出とかほぼ無いんですね。でも、どれだけ酔っぱらってもだらしなくならず“しゃん”としている姿は、子供心にカッコいいなと思ったことを覚えています」
 更に、松原君はお父様を反面教師と捉える部分も持っており、「人に優しくできる人間でいたい」とも言う。お父様も決して優しくなかった訳ではなく、表現方法が人と少しだけ違っただけだと思うのだが、やはり毎日生活を共にした家族には“厳しい”という印象が強いのだろう。厳しい環境で育てられた松原君も12年前に結婚し、奥様と松原君のお母様の3人で暮らしているという。
「奥さんも、もともとはインストラクターでしたが、どうしても同じ仕事をしているとお互いライバル心が出てきてしまい、ぶつかり合う事もしばしば。このままではいけないと二人で話し合った結果、奥さんがインストラクターを辞めることになりましたが、その結果、お互いを想う気持ちがそれまで以上に強くなりました」
 そして、他者に対しても力になりたいという思いが増幅したというから、松原君にとってこの判断はベストなものだったのだろう。最後に、松原君の今後の展望を聞かせてもらった。
「今年の春には直樹と一緒に具体的な何かを必ず行いたいと思っていますし、あるフィットネスライセンス機関でのインストラクターの養成、教育を行う仕事も決まっているので、今まで以上に勉強と経験を重ね、一人でも多くの方々のために頑張っていきたいと思っています」
 今回の取材時間は90分ほどだったが、その間特に印象的だったのは、松原君の真剣な眼差しだ。特に私が話しているときは、絶対に視線を外さず、一度のまばたきもせずに話を聞いてくれる姿には、心から感銘を受けた。今春からは新しい分野にも精力的に活動の場を広げていくという松原くんだが、いつまでも、“くそ真面目”な運動指導を行うインストラクターであって欲しいと願い、今回の章を終わりたいと思う。






取材後記
今どき珍しい実直な男だった。陰日向のない性格だということは、松原君の発する言葉、目、態度を見れば容易に感じ取れる。かなり昔だが、同じ匂いを石塚直樹君にも感じた。全く違う性格だとお互いは言うが、私から見れば根本は一緒だと思っている。今、その二人が長い年月を経て手を組み動き出そうとしている。これは、同業者である私にとっては脅威なはずなのだろうが、なぜだか嬉しいし、とにかくでっかいムーブメントを巻き起こしてもらいたいと、心から願っている。

INTERVIEWER 丸山 寛

丸山寛
有限会社スポーツゲイト代表取締役社長
有限会社スポーツゲイトホームページ
URL:http://www.sportsgate.co.jp
個人BLOG:http://sportsgate.blog81.fc2.com/