INSTRUCTOR INTERVIEW

和泉有 葵子さん
一番身近な人から支えていけるフィットネスインストラクターでありたいと思います
和泉有葵子さん

・(社)日本フィットネス協会ADIエグザミナー
・大塚フィットネスプロスタッフ
・J- modeフィットネス企画スキルアップスクール講師
・NPO法人日本フットセラピスト協会認定フットセラピスト
・2008サバイバルエアロビクス全国大会3位入賞
・2009サバイバルエアロビクスさいたま大会優勝
ブログURL
http://izumiakiko-sunflower.blogfit.jp/

今回のゲストは、台頭著しい多くの中堅インストラクターの中で、最も注目されていると言っても過言ではない、和泉有葵子さんです。
お父様のお仕事の関係で5歳までを台湾で過ごした和泉さんは、その後、千葉、香港、神戸と転々とし、25歳の時に一念発起。単身上京した。
「当時、とにかくいろんな事にチャレンジしたいという気持ちに駆られ、それならば東京しかないと思ったんです」当時、和泉さんのインストラクターとしての成功イメージは、フィットネス関連の月刊誌に取り上げてもらったり、フィットネスコンベンション講師として招聘されるなど、表面的に目立つことを思い描いていたらしく、上京のきっかけも、東京に行けば華やかなスポットライトがあたるチャンスがあるはずという、単純な発想であった。しかし、この気持ち、分からないでもない。20年前、私も同じように、とにかく東京を目指した。モチベーションの原動力は、「東京に行けば何かがある!」という、何の根拠もない空想の世界への憧れだった。今でこそメディアや媒体の影響力の大きさは肌身を持って理解しており、何が「正」で何が「誤」なのか分かっているつもりだが、その当時は、ブラウン管の向こうの世界や、雑誌の写真やコピーに完全に踊らされていた。度合いは違うかもしれないが、和泉さんもその一人であったようだ。
「東京に来てみると、思い描いていた世界との違いに戸惑いました。レッスン現場での参加者は中高齢者が大半を占め、神戸で活動をしていた時と、何も変わらない状況が続きました」そんな中、和泉さんの心境に変化が起こる。「レッスンをしていると、『私はやっぱりエアロビクスが好き!エアロビクスを通して、健康の大切さを伝えていきたい』と、心から思うようになっていったんです」自身に向かっていたエネルギーの使い方が、他者に対して向けられるようになっていった。
「それまでは、漠然とですが、海外でのコンベンションプレゼンターなども一つの目標としていました。でも、その思いも今では薄れてきていて、とにかく今の環境、目の前にいるお客様と真剣に対峙したいという思いに変わってきています」
私は、神戸で活動をしているときの和泉さんをはっきりと覚えている。凛とした佇まい、端正な顔立ちの目の奥で、ギラギラと燃えたぎった向上心が見て取れた。そして、相手を入り込ませる隙を与えない“強さ”を前面に出していた。が、今ではあの時の雰囲気とはガラリと変わり、柔和な表情、穏やかな語り口調の彼女がそこにいた。
他にも何か心境の変化があったのかと思い聞いてみると、「東京に来てから大きな怪我を二度経験したことも考え方が変わった要因の一つかもしれません」とのこと。彼女は、二年前の大晦日に、右足関節の靭帯を断裂、更にその後左足関節の靭帯も損傷するという、エアロビクスインストラクターにとっては致命的な下肢の怪我を二度も立て続けにしてしまう。
自身が怪我を経験することで、本当の意味での健康の大切さに気付くフィットネスインストラクターは多い。他人が経験したことをあたかも自分の経験、研究結果のように言うよりは、数倍、いや数十倍、人の心に届くアドバイスができるようになる。そして優しくなれるのではないだろうか。
そういった意味でも和泉さんは、怪我で苦しんだ事以上に、学んだ事の方が多かったのではないかと思う。さて、話を彼女の幼少期、そしてご両親に向けてみよう。日本人の父親と
台湾人の母親の間に産まれた和泉さんは、その顔立ちからは想像もできないほど、子どもの頃は男まさりでヤンチャ放題だったという。自分のはいているスカートをはさみで切り刻んだこともあったとか。しかし、そんな和泉さんを育て上げた母親は厳しい人だったようだ。

「本当に厳しい母で、習い事は同時に幾つも通わされました。母親の性格上、中途半端は絶対に許してくれませんでしたので、風邪で40度の熱があろうが、バレエに連れて行かれるということも、しばしばありました。でも、その分父親は優しく、怒られた記憶は殆どありません(笑)」
しかしながら、「母親が厳しかった」と語るその表情と口調は何故か嬉しそうであり、最上級の尊敬を抱いているようにも見えた。そんなご両親の元を離れ、3年半前に上京してきた和泉さんであるが、あるインストラクターからのアドバイスが今の和泉さんには大きな影響力を及ぼしていると言う。その方とは、前回ゲストとしてご登場頂いた増子俊逸くんである。増子くんは、和泉さんが上京してきた当初から気にかけてくれており、色んな可能性を引き出してもらえているとのこと。「増子くんらしい」と、納得したのだが、そういった人との巡り会わせも彼女の持つ何かがそうさせた必然なのだろう。少し前までは、“弱い部分がある自分を認めたくなかった”という和泉さんであるが、増子くんから色々なアドバイスを貰うことにより、素直に自分と向き合えるようになったという。そんな和泉さんに、今後について聞いてみた。
「一番身近な人から支えていけるフィットネスインストラクターでありたいと思います。上京した当初に描いていた表向きの名声を得ることよりも、本当に大切なものが何かが分かってきました。それを踏まえた上で、一歩一歩確実にステップアップできればと思います」
そして、最後にとても印象的な言葉を和泉さんが言ってくれた。

「無償の愛を与えられる存在になりたいんです」
 
この言葉に私は、少々の衝撃を受けた。こんなに若いフィットネスインストラクターで、こんなに大きなテーマを持っている人がいるんだと。どうしても見返りを期待してしまうのが人間の性であろう。それを“無償の愛”とは。和泉さんが今後どのような道を辿るか、勝手ながらこの目でしっかりと見届けていきたいと思う。






取材後記
取材も終わりに差し掛かった頃和泉さんが、「今、チャレンジしていることがあって、結果がきたらご報告します」と、ある公募に挑戦していることを話してくれた。その後、「残念ながら不採用でした」と、私の携帯電話にメールが入った。しかし、そのメールには少しも悲観的なワードはなく、「素敵なフィードバックが頂けました」と、逆に感謝をしているという内容だった。自分の可能性を信じて、一歩一歩確実に階段を上っていく和泉さんを、心から応援したいと思う。

INTERVIEWER 丸山 寛

丸山寛
有限会社スポーツゲイト代表取締役社長
有限会社スポーツゲイトホームページ
URL:http://www.sportsgate.co.jp
個人BLOG:http://sportsgate.blog81.fc2.com/