INSTRUCTOR INTERVIEW

増子 俊逸さん
本当にやりたい仕事だけに打ち込むためにも、それまでの十数年は、しっかりとしたビジネスの土台作りをしていきたいと思っています
増子俊逸さん

財団法人健康・体力づくり事業財団認定 健康運動指導士
財団法人日本フィットネス協会認定インストラクター(ADI)
明治乳業(株)VAAM契約アドバイザー
株)ボディアートライダー契約 インストラクター
新潟県スキー連盟認定基礎スキー準指導員
(株)ルネサンス エグゼクティブアドバイザー
東京都老人総合研究所認定 介護予防主任運動指導員
介護予防プロジェクトチーム所属
REPリーボックマスタートレーナー
AVIAセレクトインストラクター
J-MODEフィットネス企画ホームページ
http://www.masuko-s.jp/
増子俊逸オフィシャルブログ
http://masuko.blogfit.jp/

今月号のゲストは増子俊逸さんです。今回のゲストを決めるにあたり編集長の岩井さんに「増子くんに登場頂こうかと思うのですが、どうですか?」とメールを流すと、「そういえば、増子さんってまだでしたね!是非、お願いします!!」という、返信メールが即返ってきた。確かに、なぜもっと早く増子君をゲストにお呼びしなかったのだろう?この連載タイトルなら真っ先に依頼するべき人物なはずだが…、と私自身も不思議に思いながら、取材日時、場所、カメラマンさんの手配やらを完了し、当日を待つだけとなった。 そして、取材当日。ビシッとスーツに身を包み、ネクタイ姿の増子君が予定の時間に現れた。「こんにちは!」相変わらず屈託の無い笑顔、“爽やか”とはこういう人のことを言うんだなと妙に関心。そのまま、撮影場所の公園まで徒歩で移動すると、そこにはゲートボールを楽しむおじいちゃん、おばあちゃん、そして小さな子供達とその母親。ごくごく自然な昼下がりの公園に、スーツ姿の増子くん。普通であればミスマッチ感は否めないのだが、何だか妙に馴染んでいる。増子君が醸し出す人としての魅力がそうさせているのだろうか。「こんにちは」と見知らぬ人たちにごく自然に挨拶をし、やや警戒気味だった皆さんの表情がその一言で緩み、空間の共有を許してくれたようだった。しかし、ただ一つ笑いが止まらなかったのは、スーツ姿で滑り台の上に立つ姿だけは滑稽で、まるで新人議員の演説のようだった(滑り台に上るのを勧めたのは、何を隠そう私だったのだが…)。さて、撮影の裏話はこの辺にして、まずは彼の幼少期からフィットネス業界に入るまでを聞いてみた。

「新潟県は下越地方にある旧黒川村(現胎内市)出身で、小学校3年生の時から地元のジュニアスキーチームに所属し、高校生まで競技スキー中心の生活を送ってきました。高校卒業後、大学進学を希望したのですが受験に失敗、東京にある社会体育の専門学校への進学を決めました。ここでフィットネスを初めて知る事となりました」
実は、私も新潟で競技スキーを高校までやっており、私が高校3年生の時に一年だけだが増子君とは何度か同じ大会で凌ぎを削った仲だ。お互いがこの業界に入り、数年経ったときに増子君から声をかけていただき、驚いた反面大変嬉しく思ったことを今でも覚えている。競技スポーツを幼少期から継続して行なってきた人間にとって、社会体育という健康産業に従事する仕事の勉強は、最初はかなり違和感を持ったのではないだろうか。しかし、この産業を知れば知るほど、スポーツの違った意味での存在価値を見たようで、一気にフィットネスという仕事にのめり込んだ事を私は記憶している。増子君はどうだったのだろう。「専門学校では、基本的に社会体育やフィットネスに関する全般的な勉強をしたのですが、その中でも、スタジオでのグループ指導に興味を持ち、卒業後女性専用のフィットネススタジオに就職し、エアロビクス、シェイプアッププログラムなどを指導していました」 そんな中、地元新潟の自治体がフィットネス施設を建設するという話が持ち上がり、その施設の指導者として増子君に白羽の矢が立った。「私は長男ということもあり、いずれ新潟に帰ろうと考えていたので、このお話は願ってもないチャンスだと思い、3年間勤務していたスタジオを退職することを決めました」

そして、公務員試験を受け、晴れて黒川村役場の職員となり、さあこれからがんばるぞと意気込んでいると、配属先はなぜか教育委員会だったという。「全く畑違いの仕事をする日々が二年間続きました。その間、異動願いも出したのですがなかなか希望も通らず…」

ここで増子くんは、「話が違う」と、この話を取り持ってくれた両親や村長へ迷惑を掛けることを承知で、退職の結論を出してしまう。「今になって考えてみると、25、6の若造がいきなり出来るような仕事の規模ではなく、行政事業の仕組みを覚えるために、その部署へ配属されたのだと理解しています」

考え抜いた末の結論だったとはいえ、両親や村長に本当に申し訳ないことをしたという気持ちと、いつか故郷に恩返ししたいという気持ちが見て取れた。その後彼は東京に戻った。「自分が一番やりたかったフィットネスクラブで仕事をやろうと決めていました。その中でもルネンサンスさんには特別の魅力を感じており、願いかなって社員としてお世話になることになりました」

だが、このフィットネスクラブでの勤務も、理学療法士の専門学校への進学を目指すため2年弱で退職することになる。しかし、当時、理学療法士の専門学校は少なく、倍率も数十倍という難関。多くの受験希望者がスタートラインにすら立てず挫折していったように、増子君もその壁を越えることはできなかった。「もう、戻れるところもないので、この先どうしようかと考えていたところ、ルネサンスさんのスタジオアドバイザーの募集要項を見つけ、ここで教育事業などの勉強をさせていただきながら、フリーインストラクターになることを決めました」
そして、現在に至るわけだが、今ではJーMODEフィットネス企画を主宰し、フィットネスクラブでのレッスンから、地域での高齢者指導、またはエコロジー活動に至るまで、様々な活動を行っている。その中でも特に力を入れている事業があるらしい。「現在は、バランスコーディネーション認定インストラクターの育成に力を入れています。このバランスコーディネーションとは、もともとは身体的な機能改善のための運動療法として考案したものだったのですが、業界のトレンドを見ていると、プログラムは数年周期でどんどん変わっていくのに対し、それを行うインストラクターの顔ぶれは変わらない。そして、集客できているインストラクターはどんなプログラムを行っても集客できているんですね。何を言いたいのかというと、お客様はプログラムではなく“人”についている可能性が高いという事なんです。“人”と言ってもそれは容姿やスタイルといった外観的なものではなく、プログラム的な技術はもとより、ホスピタリティマインドに富み、コミュニケーションスキルやコーチングスキルをマスターしている人は何をやっても人気を維持できているんです。そこで、私が考案したこのバランスコーディネーションでは、身体的運動療法だけではなく、接遇やプレゼンテーションスキルに至るまでの、いわゆる心身のバランス状態までも改善できるようなインストラクター育成を目指していこうと思い、活動を続けています」

現在では、この養成機関の卒業生が各地のフィットネス施設で活躍しているというが、来年度からは、本格的にフィットネスクラブでの導入を目指し、活動を本格化させるとのこと。非常に楽しみである。最後に、仕事に関わらず、今後の増子君のビジョンを聞いてみた。「人生の一つの区切りを50歳と考えています。生意気な言い方かもしれませんが、50歳からは仕事を選びたいんです。本当にやりたい仕事だけに打ち込むためにも、それまでの十数年は、しっかりとしたビジネスの土台作りをしていきたいと思っています」

家に帰れば、双子の男の子の父親で もある増子君だが、「家族や生活のためだけに仕事をしているとは思いたくない」と最後に話してくれた。私も全く同感だ。青いことを言うようだが、仕事は100%クライアントのためであり、家族を養うための手段というところからスタートしたのでは、いい仕事はできないと思っている。一方、家族に対しては、仕事の事で不自由な思いをさせてはいけない。こういう理想論を言うと必ずどこかで矛盾が出てきてしまうのだが、増子君とはいつまでもこういう話ができる仲でありたいと思う。

この次は新潟の旨いお酒でも酌み交わしながら、壮大な理想論を話したいという想いを伝え、この章を終わりたいと思う。






取材後記
この連載でお話をさせて頂く方々からは、いつも大きなエネルギーを頂くのだが、増子君も例外ではなかった。彼と話していると気持ちがとてもオープンになり、時間を忘れて話し込んでしまった。声のトーンや表情、言葉の選択、話すスピードなど、実に心地よいバランスを保っている。彼が老若男女問わず支持される所以がここにあるのだと実感した。そんな増子君が今最も力を入れている“バランスコーディネーション”の養成スクールが1月30日、31日で開催されるらしい。増子君のホスピタリティマインドに触れる絶好のチャンスなので、是非とも多くの方々に参加してもらいたいと思う。

INTERVIEWER 丸山 寛

丸山寛
有限会社スポーツゲイト代表取締役社長
有限会社スポーツゲイトホームページ
URL:http://www.sportsgate.co.jp
個人BLOG:http://sportsgate.blog81.fc2.com/